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ウェブ人間論 asin:4106101939

梅田氏の「ウェブ進化論」は、ネット/シリコンバレーを酸いも甘いも知った上でのポジティブな考えは気持ちよかった。今度は'75年生まれ(梅田さん曰く「ゴールデンエイジ」)の平野氏との対談で楽しみだったが。
ネットが人生の一部である梅田氏と、ネットが単なる手段である平野氏と、二人の根本的な違いは興味深かったが、web1.0前後の話で終始し、期待したweb2.0時代のネットの可能性、人間の変化まで踏み込めていなかった。

メモ

学力低下というけれども、昔の学生と今の学生を比べたらどうなんですか」と聞いたら、すべての情報を遮断して何が解けるかなら、二十年前の学生のほうが上だったけど、道具を自由に駆使して友達と協力してもいいから答えを出すということに関しては、今の学生の方が能力が高いとおっしゃってました。

ネットで何か新しいことをやろうとしたら、ほとんどタダですぐに出来ちゃうからすごいことは起こるんだけど、その達成に比べてお金はあまり回らない。だからたぶん、相変わらず向こう何十年も、経済面ではリアルの世界の方が大事だということが続くと思いますよ。人間はそういうこれまで通りのリアルを生きながら、全く新しいネットをも生きる。そんなイメージを抱いています。

オープンソース(というかGeek)に関して)人類への貢献という考えはあまりないかもしれませんね。「面白い」「偉い」「すごい」と言われること、つまり仲間内での賞賛と、ベースには、自分たちは正しいことをやっている、大きな流れの中でダークサイドに堕ちていない、というようなことが、彼らにとっては大事なんだろうと感じます。

羽生さんに言わせると、将棋の場合でも、とにかく情報量が圧倒的になっているということなんです。彼の仮説は、「情報の量がいずれ必ず質に転化する」ということらしいんです。シャワーのように情報を浴びて刺激を受けていて、しかもインプットの質が圧倒的によくなっている。「だから頭かよくなるに決まってるじゃない」って彼に言われてしまいました。

p.s.

「ネットが人生の一部 or 単なる手段」と似た話は、ソフトやっている人と話しても時々感じる。僕ら情報出身は、美しいプログラムを書きたい欲望がどこかにあるが、情報以外の人の、極端に言うと「動くものなら何でも良い」的なところはどうも相容れない。まぁ、僕らのこだわりはお客さんにとってはどうでもいいことなのですが。